ご報告:2013年10月3日〜7日 ベトナム視察旅行



(写真上4枚:尼寺学校の校長先生&生徒たちと再会)
    (写真上:育英基金の子どもたちとマダム・トゥイはじめ現地のスタッフと)
(写真上:ジェイ&ジョアン夫妻にミス・サイゴン基金の支援金を手渡しした時の様子)
   

昨年10月はじめ、ベトナム・ホーチミン市の支援先視察に行きました。
今回は諸事情から4日間という短い日程でしたが、現地スタッフにより無駄なく組まれたスケジュールのお陰で大変有意義な視察となりました。
その中でも、私が思いがけず大きな励みをもらうことがありました。

1)Tinh Thuong Phuoc Thien(ティン チュオン フック ティエン)学校再訪

さかのぼること1997年、観光で訪れたベトナム・ホーチミン市で尼寺の敷地内に建てられた貧しい子ども達のための無認可のオープンスクールに案内されました。

窓などなく、昼間でも薄暗く、拾ってきたビニールや新聞紙等で雨漏り箇所を覆ったボロボロの教室で学ぶ幼い子ども達にそこで出会いました。この日の出会いが今日のラフーの活動、チャリティーコンサート企画の原点となりました。

帰国後、コンサートを企画、収益金(100万円)で翌年1998年、電気、トイレが設置された明るい教室に建替ができました。

その後、国の政策事情からこの学校は移転することになりましたが、当時教師として働いていたタオ女史が校長として継続、現在も貧困地区の子ども達を無料で受け入れているときいておりました。

今回の訪越中にそこを久しぶりに訪ねませんかとのお話にただ懐かしく、最初の訪問から16年振りに訪れた私は素晴らしいサプライズに遭遇することになりました。

1997年当時、日本からの突然の訪問者を怯えたような目で見上げていた子ども達の姿を道中思い出していました。「大きくなったら何になりたい?」と訊ねた私に「親の仕事を手伝いたい」と答えた子。その子の親の仕事は、ボロ布、鉄屑拾いと最も貧しい職業でした。汚れて裂けたシャツを触りながら「仕立屋になって家族の服を作りたいの」と小さな声で答えた男の子はその後仕立屋になれたのでしょうか?

学校に到着し校内を見学していると、ボランテァとして教鞭をとる女子大生が私のことを覚えていてくれて話しかけてくれました。「あの学校があったから、今の私があります」と。彼女は無事に大学を出てその後母校に戻り子どもたちに教えているということでした。タオ校長と私は肩を抱き合い、手を何度も握りながら再会と子どもたちの成長を喜びました。

あれから15年の年月。私達ラフーのささやかな活動は、乾いた砂に水を撒くような思いでなかなか目にみえるような成果を皆様にご報告出来ずにもどかしく、継続への力が萎えそうになることもありました。しかし今回のようなサプライズは、私達の活動は決して無駄なことではなかったのだと改めて実感させてくれました。幾多の困難を自力で乗り越えながら大学に行き、現在教鞭をとる自信に満ち溢れた彼女の姿を見ながら、自立するための教育の機会の大切さを改めて確信いたしました。
 
当時は無認可だった学校も今は校長の働きにより、政府からの卒業証明が発行されるまでになっていました。現在も、無料で貧困地区の子ども達を受け入れているこの小学校は、校長が早朝、一階の教室で食料を売り、敷地内の小さく区切った数部屋を学生に安く貸して学校運営に充てている現状も知りました。

机も椅子も質の悪い安物ですから、直ぐに壊れるようですが、それも校長や生徒たちが自ら修理しながら使用している様子でした。以前よりは整備されたとはいえ、未だにビニールシートが貼られた壁面もあり、大雨の時は吹き込むのではないかと心配になりました。

訪問時、明日が試験日ということで、女子大生が教室にて年齢別に教える様子と真面目に学んでいる子ども達の姿をみせてもらいました。

数年ぶりに同行してくれたスタッフのひとりが、かつての子どもと全く表情が違い活き活きと明るいことに気付き驚いていました。

現在の運営と学校の実情を知り、少しでも今後協力支援の枠が組めたらと思いました。

2)ミス・サイゴン基金

十数年来の知己でありベトナムでボランテァ活動に従事しているご夫妻ジェイさん(スウェーデン)&ジョアンさん(米国)とボランテァスタッフと一緒に孤児院を訪問しました。

知的障害を持つ子ども達は、なかなか養子先が見つからないとのことでしたが
牧師さんを父親と慕って生活、学校にも通っているとのことでした。

ジェイさん&ジョアンさん夫妻は、ラフーの「ミス・サイゴン基金」でベトナム戦争の枯れ葉剤散布により未だ四世代に渡って障害を持つ人々の自立支援のサポートをしてくれています。

来年度の支援金・3500米ドルをお預けし、次第に人々の関心の薄れてゆく実情を憂いながら、経過、今後の対策を話し合いました。

3)「ラフー育英基金」&「貧困地区の女性(母親達)支援」

私達の現地パートナー「フレンドシップ/エイズプログラム」のタム・バン氏(総合ディレクター)、夫人のマダム・トゥイとユンさん(スタッフリダー・女性)がマダム・トゥイの自宅に奨学金で通学している子どもたちと5地区の女性グループのリーダーたちを集めて歓迎してくれました。

子ども達は、歌と楽しい人形劇を披露してくれました。特に、学業優秀な中学生男子二人も紹介されました。9月新学期・奨学金を受けている子ども達は、40(更に7名の希望者の審査中)です。

5地区の女性達グループリダーとの話し合いでは、ラフーが始めた女性自立支援の無利子での貸付金制度によりかつてのようにマフィアなどの高利貸しから借りることがなくなりようやく不安な生活から解放されつつ自信が持てるようになったこと、現在では、自主的にほんの少しの利子を納めるようになり、元金は少しずつ増えているとの総括リーダー・ユンさんから嬉しい報告もありました。増えた元金で、当初より多くの貸付金が受けられるようになり商売のための材料が買えるようになったそうです。(市場での野菜売り、小物作りなど)

ミーティング終了後、子ども達の代表が、感謝の気持ちですと沢山の鶴を折ってくれお土産にと手渡してくれました。大切にトランクに詰めて持ち帰りました。

近年のベトナムの目覚しい経済の発展は、貧しい地区の人々には殆ど恩恵はなく、リーダーの女性達からは物価が高くなり食事の量を減らしているとの話も聞きました。

多くの事柄に賄賂が当たり前の世界、信頼できない警察、そして貧しい人々の生活を保障される政策もほとんどないベトナム事情を改めて聞きました。

私がはじめてベトナムに旅した頃、外国人と特別な人でない限り、ホテル内に立ち入ることができなかった時に比べて、近年は、一流ホテル内のレストランで堂々と振舞っている豊かなベトナム人の姿が多くなったのも現実です。

そのような中で未だ、北の人(ハノイ) 南の人(ホーチミン)の確執は拭われない部分もあるようでした。

今回の訪越で、多くのベトナムの人々、子ども達は前向き思考であり、今日は貧しくとも明日はきっと今日より良くなると信じることで目が輝いているのが印象的でした。
 
ラフー本部代表
宇田浩子